「歓喜する悪魔」


 「歓喜する悪魔」は1917年のプロタザーノフ監督作品。今回のDVDに付されたデータでは、2部作10巻3683mとなっています。これは、1秒24コマのトーキ映写だと上映時間が1時間50分ほど。製作当時のサイレント映写だと2時間半を越えます。D・W・グリフィスが1915年に製作した「国民の創生」は12巻の3時間、1916年の「イントレランス」は14巻で3時間半の超大作でしたが、この2本はその当時としても異例中の異例。グリフィス後期の代表作「散り行く花」(1919)が8巻ですから、1917年の10巻は、大作といえるでしょう。残念ながらDVDの映像特典として収録されているのは20分弱ですが、その映像には驚かされます。
 今日、アテネ・フランセ文化センターなどの上映会で見ることのできるグリフィスの「幸福の谷」(1919)は、1960年代にロシアの国立映画保存所「ゴスフィルムフォンド」で発見されたものです。この「歓喜する悪魔」も「ゴスフィルムフォンドで発見されたグリフィスの未公開映像」だと騙されて見せられると信じてしまったかもしれません。それほどグリフィス作品に似ているのです。現世に降りてきた悪魔によって、信心深かったはずの人でさえ邪心を抱いて翻弄されるという物語は、まるで上記の「幸福の谷」をグリフィスが2年後に作るであろうことを予言していたかのようです。この映像特典で見ることができるのは、映画の1/8程度に過ぎませんので、グリフィス流の清教徒的な勧善懲悪や"グリフィス最後の救出"を迎えることになるのかどうかは判りません。グリフィスと違い、題名通り、悪魔が勝利してしまう、悪魔が歓喜して終る映画なのかもしれません。それでも、この作品を見ながら、次のカットでは、リリアン・ギッシュリチャード・バーセルメスといったグリフィス組の俳優たちが出てくるのではないか、あるいはまた、淀川長治氏が幼少の頃、見たくて見たくてたまらなかったグリフィスの「嵐の孤児」を夢の中で先に見て、後に映画館で見たそれが夢と寸分違わなかったという話のように、自分もまた何かの既視体験をしようとしているのではないか、という想いにとらわれたものです。
 もうかれこれ十数年前、"ボリス・バルネット映画祭"が企画されたことがあります。その当時、この企画は実現には至りませんでしたが、このとき「ミス・メンド」(1926)「帽子箱を持った娘」(1927)などのサイレント映画を何本か見ることができました。これらの作品には、例えばグリフィスの「東への道」などを彷彿とさせるものがあって、グリフィス映画をロシア化させようと試みたことが見てとれました。しかも見事に自らの血肉化させたバルネットの演出力に驚いたものでした。
 このようなバルネットの登場を待つまでもなく、革命前に"グリフィス"を自らのものにしようとする試みがなされていたこと、そして、それが極めて巧みに行われていたことは注目すべきことです。
 20数年前、映画評論家 某氏の書かれたソビエト映画史には、"帝政時代のロシア映画は取るに足りないものであった"というように述べれていました。ごく最近まで多くのロシア映画史の最初のページはこうした論調だったと思います。これまでの"ソビエト映画史"は書き直さなければならないと思います。「ロシアは既に優れた映像文化を持っていたが、ソビエト革命によって新たな方向に向かうことになった」と。
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